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1 マタイによる福音書 10 25 弟子でしがそののようであり、しもべがその主人しゅじんのようであれば、それで十分じゅうぶんである。もしいえ主人しゅじんがベルゼブルとわれるならば、そのいえものどもはなおさら、どんなにかわるわれることであろう。
1 マタイによる福音書 10 26 だからかれらをおそれるな。おおわれたもので、あらわれてこないものはなく、かくれているもので、られてこないものはない。
1 マタイによる福音書 10 27 わたしがくらやみであなたがたにはなすことを、あかるみでえ。みみにささやかれたことを、屋根やねうえいひろめよ。
1 マタイによる福音書 10 28 また、からだをころしても、たましいころすことのできないものどもをおそれるな。むしろ、からだもたましい地獄じごくほろぼすちからのあるかたをおそれなさい。
1 マタイによる福音書 10 29 のすずめは一アサリオンでられているではないか。しかもあなたがたのちちゆるしがなければ、その一ちることはない。
1 マタイによる福音書 10 30 またあなたがたのあたままでも、みなかぞえられている。
1 マタイによる福音書 10 31 それだから、おそれることはない。あなたがたはおおくのすずめよりも、まさったものである。
1 マタイによる福音書 10 32 だからひとまえでわたしをけいれるものを、わたしもまた、てんにいますわたしのちちまえけいれるであろう。
1 マタイによる福音書 10 33 しかし、ひとまえでわたしをこばものを、わたしもてんにいますわたしのちちまえこばむであろう。
1 マタイによる福音書 10 34 地上ちじょう平和へいわをもたらすために、わたしがきたとおもうな。平和へいわではなく、つるぎをむためにきたのである。