Blog ~ no title just vibes ~

聖書、聖句関連の他、開発周りの事も書いていこうかと思います。有益な情報(リンク中心!)もたまにはあるかも。

・Archive 2023年3月を表示

Codex Sassoon

最古の完全なヘブライ語聖書「Codex Sassoon」、Tel Avivで展示される。
だそうです。Tel Avivはイスラエルの首都テルアビブですね。今、イスラエルに行くと「Codex Sassoon」を見る(読めるわけでは当然ありません)事が出来るらしいです。
さらに「5月16日にNew Yorkのサザビーズでオークションにかけられる予定」という事なので、推定価格5000万ドル(約65億円)程お持ちならお手元に置いておける(読むことも出来る!)可能性もあります。価値の分かる方に落札されることを願います。

罪と戦う

自分が罪深い人間である事はわかっていた。それでも、聖書を読み・御言葉に触れ・教会に行き・牧師や兄弟姉妹と時間を共有する中で罪に対して油断し、傲慢になっていた気がする。そんなだから罪に誘惑されるのだと思う。またまたChatGPTに聞いてみた。(私のChatGPTには、聖書の中のイエス様として振舞って欲しいと伝えています。)

~抜粋~
(罪の誘惑に打ち勝つ事は)非常に難しい課題の一つです。聖書には、自己制御や慎み深さ、そして道徳的な責任を果たすことが重要であると記されています。しかし、イエス・キリストは常に私たちを愛し、助け、慰めるためにそこにいることを約束しています。

(罪の誘惑に打ち勝つために)いくつかのことを試すことができます。まず、自己制御の実践を心がけましょう。自己制御とは、自分の欲求や衝動をコントロールし、自己規律を保つことです。自己制御を実践するためには、禁欲や断食、瞑想などの実践を取り入れることが有効です。

最後に、神とのつながりを強化することも大切です。祈りや聖書の研究、礼拝などを通じて、神とのつながりを深め、力を得ることができます。

神に祈り、神に委ねる。まずは、これからやっていこうと思う。

自分の弱さ

私はまだ洗礼を受けられるほどちゃんとした信仰を持っているわけではないと自覚する出来事がありました。というか、罪の誘惑に勝てない自分がいます。罪を犯している自覚もあり、神様イエス様の事も頭によぎるのに辞められない。これは重症だと思いました。そこで、聖書に罪から抗う箇所をChatGPTで探してみました。

<chatGPTの答え>
聖書には、罪に抗うための多くの箇所があります。以下にいくつかの例を挙げます。

『創世記』4:7 - 「あなたが正しく行動すれば、その上にあがるでしょう。しかし、あなたが正しく行動しなければ、罪が門口に待ち伏せしています。それはあなたを飲み込み、あなたを支配するでしょう。」

『エフェソスの信徒への手紙』4:27 - 「憤りを与えるような場合を与えてはいけません。」

『ローマの信徒への手紙』6:12 - 「したがって、罪に支配されて、自分の望むようなことをするために、あなたのからだの欲望に従ってはいけません。」

『ローマの信徒への手紙』12:21 - 「悪をもって善に勝とうとしてはいけません。むしろ、善をもって悪に勝ちなさい。」

『ヘブライ人への手紙』12:1 - 「それで、わたしたちは、このように多くの証人に見られているので、あらゆる重荷と、わたしたちをとりまく罪とから、身を引き締め、走り続けるべきです。」

これらの箇所は、罪に対して戦うための指針を提供しています。それぞれの箇所は、異なる文脈で書かれているため、異なる方法で解釈される可能性があります。しかし、共通しているのは、罪を避けるためには、自己制御、慎重さ、そして神への信頼が必要であるということです。

正に!という言葉が綴られています。ただ、自分は弱く罪への誘惑に勝てないと思います。そこで、祈りの中で神様に助けを求めようと祈りますが、上手く祈れません。
そこで、ここでもchatGPTに聞いてみました
<chatGPTの答え>
キリスト教において、罪に抗う祈りは、自分自身の力ではなく、神の力を頼ることが重要です。以下は、罪に抗うための祈りの例です。

「天の父よ、私はあなたの前に罪を犯しました。私は自分の力では罪に抗うことができません。しかし、あなたの御心に従い、あなたの御力を借りることで、私は罪に打ち勝つことができます。御霊を私に与え、私を導いてください。私の心を清め、私に真理を示し、あなたの御心に従うように導いてください。私はあなたの御名によって祈ります。アーメン。」

この祈りは、罪についての反省と悔い改め、そして神の力を頼むことを含んでいます。この祈りは、私たちが常に神に頼り、私たちの罪を克服するために必要な御力を受け取るように求めることを助けます。また、この祈りは、私たちが罪から自由になり、キリストと共に永遠の命を受け継ぐことができるように助けます。

罪に負けそうなときは、この祈りを唱えてみようと思います。

ChatGPT

ChatGPTを遅ればせながら使ってみました。下が使用例となります。

問.聖書で友達が必要だと記載されている箇所を教えて
回答.聖書には、友達が必要であるという考え方が記されている箇所がいくつかあります。以下に、その一例を挙げます。

「ひとりでいる者は、落ち込んでいる時に、誰が自分を励ますことができようか」(聖書, コヘレトの言葉 4:10)
この箇所では、ひとりでいることの孤独や寂しさを語り、友達の大切さを強調しています。

「良き友は、生命を潤し、あやまちを許す者は、油を注ぐ者のようだ。」(聖書, 箴言 9:9)
この箇所では、良い友達が生命を潤す存在であり、時には相手を許すことで、人生において必要な支援を与える存在であることを表現しています。

「互いに担い合い、こうして、キリストの律法を実行しなさい。」(聖書, ガラテヤの信徒への手紙 6:2)
この箇所では、互いに支え合うことが、キリストの律法を実行するために必要であると述べられています。

これらの箇所から、聖書において友達の存在が大切であると考えられていることがうかがえます。


こんな感じで答えが返ってきます。この機能を、このサイトにも取り込もうと思いChatGPTに「RubyOnRailsからChatGPTを呼び出すにどうしたらいいか教えて」と質問したところ、これも結構まともな回答が帰ってきます。100%正解ではありませんが概ね正解で、多少間違っている所でもそれをヒントに簡単に調べられました。結果、機能は取り込みませんでした。
何故かというと、この機能を取り込んで使用する場合は有料になるから(無料枠もありますが)です。残念。という事で、オープンソースのChatGPT互換プログラムに期待です。ただし、ChatGPTのサイトから普通に使用する分には無料ですので、聖書の事とか調べるには良いツールだと思います。裏どりは自己責任にはなりますが。

私に足りなかったもの

私は最近の祈りで「私の心を探り、私のすべての罪を教えてください。」と祈っていました。すると、毎夜幼いころから今までの忘れていた自分の悪事を次々を思い出しました。その度に、祈りの中でそれを懺悔し、許しを請うていました。ところが、ここ数日は思い出すことがなく、もしかしたら概ね新たに懺悔する必要がある罪を出し切れたのか?と思っていました。
今日の聖書クラス祈祷会の後、牧師を含む数人で立ち話をしていました。だんだんと人が帰っていき、私と牧師の二人だけ。それから2時間半くらい話込んでしまいました。
内容は最近思っていた事で、主にすべて委ねる難しさや、祈りに気持ちが入らないとか、パソコンの事とか、家庭の事とか色々と。お茶を飲みコーヒーを飲みナッツを摘まみながら。
そんな時にふと思い出したのは、以前はこういう話をする友がいた事。また、そういう友や様々な人たちとの縁をすべて断ち切って生きてきた事です。
自分の一番の罪は、この人たちとの縁を切って来たことではないか?
その日の夜の祈りで、その事を懺悔しました。そうすると何か心の穴が埋まっていくような感覚がありました。
牧師を友と呼ぶのはおこがましいと思いますが、何かそういう存在がいる事が私には必要だったのではないと思っています。
それを気づかせていただいた日でした。
教会で出会う兄弟姉妹とも繋がりを深めていきたいと思います。パソコンの話は流石に皆さんは興味無いと思いますので控えますが。

聖書というアプリで、読書プランというものを選んで、テーマに沿った日々の聖句を読むことが出来るのですが、そのプランの一つに「危険な祈り」というのがあります。「私の心を探り、私のすべての罪を教えてください。」はそれの受け売りです。お勧めします。覚悟は必要ですが。

礼拝参加と聖餐式

本日は、朝礼拝に参加させていただきました
普段中々朝礼拝には参加できないのですが、どうしても参加したい思いがあったからです。
それは、「神にすべてを委ねる」事が出来ていないように感じていたからです。「神にすべてを委ねる」というのは言葉は簡単ですが、実行は難しいです。
私も「すべて委ねている」つもりでいました。しかし、何かある毎に不安や恐れが顔を出します。本当に「神にすべてを委ねる」なら、平安でいられるはず。
それで、教会に朝礼拝に行こうと思ったわけです。
いつも、そうなのですが今日の説教も正に、このお話でした。「いつも」というのは、私が「これを知りたい」と思っていることが(聖書クラス祈祷会でも朝礼拝でも)必ず語られてきたからです。本当に必ずなのです。
神様が牧師を通して、あるいは兄弟姉妹を通して私に答えを授けてくださったのだと感謝しています。今日も、改めて「神にすべてを委ねる」を実践していこうと思いました。

本日は、朝礼拝の後に聖餐式も行われました。私は未洗礼なので、聖餐式に参加は出来ませんがその場に立ち会うことができました。
イエス様が使徒たちにパンと葡萄酒を分け与えられた時の姿を思い浮かべながら、私の信仰もより強くなりますようにと願っていました。まだまだ洗礼に値する身ではないと思いますが、いつか参加できたらと思いました。

また、地区会にも参加させていただきました。割と近くに住まわれている兄弟姉妹と言葉を交わし楽しい時間を過ごさせていただきました。感謝です。

私の職業もプログラマです。

タイトルに「も」が付いているのは、元同僚(だと思われる)ひでみさんのブログで、ひでみさんが「職業はプログラマ」と語っているからです。彼女のブログに「回遊魚またはマグロ」として紹介?されている内の一人が私です。
所謂、デスマーチの一コマが語られている面白いブログです。デスマーチとは?という疑問を抱いた貴方!そう貴方です。彼女のブログを少し読んでみると雰囲気がつかめると思います。
ひでみさんと同じサイトで小説を書かれている Press Enter■さんのブログもお勧めです。
小説形式(実際にAmazonで販売もされています)なのですが、実際にこの業界で働かれているため、実情が鮮明に描かれています。他人事とは思えず、一気に読んでしまいます。
特に、 罪と罰という小説の一節にある「詳細設計書は絶対書けとか、ストアドプロシージャは使うなとか、三項演算子は読めないから使用禁止」は、私自身が実際に言われたことがあります。この時の憤りときたら・・・今でも溜息が出るほどです。
また、こんな管理者も多いですっていう話が同氏作の 高慢と偏見に書かれています。この管理者も自分がオブジェクト指向を理解できないから、真っ向から否定してプロジェクトを進めようとします。これで普通にオブジェクト指向でプログラムしている人たちを馬鹿にし、自らのやり方を押し通してデスマーチに突入するのですが、実際にそういう人がいました。
鍛えられました。無駄な工数をかけて無駄な作業をさせられるのを儲かるから良しとする人もいます。残業することが仕事だと思っている人たち。
結局、打ち解ける事は出来ませんでした。今なら幾らかは譲歩できるかもしれませんが、やっぱり技術屋でありたい・プログラマでいたいという思いは強いです。
大手のSIerと呼ばれる会社の人たちの中には、多分本当に凄い尊敬できる技術者もいるとは思います。ただ残念ながら大手の中ではまだ一人もそういう人と出会った事がありません。年をとっても一流の技術者・屋(先の方の他の小説に登場する東海林さんのような)は何故か中・小の会社に多いです。
まぁ色々書きましたが、私はビル・ゲイツよりもポール・アレンの方が好きですし、スティーブ・ジョブズ(彼も好きですが)よりスティーブ・ウォズニアックに惹かれます。そういう事です。

これ以前の日付のBlog

3月2日付のBlog記事にも書いていますが、どうもDB関連でトラブルが発生したためBlogの内容
がすべてなくなってしまいました。幸い、一部の記事は下書きがテキストファイルに残っていたので、これを
元に3月2日以前の記事を復元しています。ですので、一部内容が異なったり、無くなっている記事もあ
ります。(覚えている範囲では、レントについての記事が無い)
Blogの記事はPostgresqlというフリーのRDBシステムにBlog記事用のテーブルを作成して、そこに追加
することで画面に表示されるようにしています。
これをする事のメリットとしては、「一々Blog記事の為にプログラムの修正をしなくて済む」です。
テーブルへの新規追加画面(非公開)で、Blog記事を書いて登録すれば登録した時の日付、Theme
で索引を作成、記事内容と共に画面表示できるようになっています。
このあたりの処理は、3月2日の記事にあるように主にcontrol側でDB内容から索引情報の取り出し、
表示記事の取込み等を行い、view側でそれを表示するように定義しているだけです。
初めてBlog的なアプリというかページを作ってみて、Rails(というよりBootstrap?)いいなぁと思っております。
簡単に出来るなぁと。Javascriptの不要だし。
という事で、私は大した仕事をしていないのに出来ちゃった感じです。興味のある方はBootstrap Blogサンプル
を見てください。ブラウザ(ChromeとかEdgeとか)で、ソースを表示させればview側の対応は大体わかると思います。

ピリピ人への手紙 4-6

何事なにごとおもわずらってはならない。ただ、ことごとに、感謝かんしゃをもっていのりねがいとをささげ、あなたがたのもとめるところをかみもうげるがよい。

fly.io Ruby On Rails

3/1に突然Postgresqlへの接続に失敗するようになりました。どうやっても復旧できず、結局このアプリ(アプリ本体・DBそれぞれ)を削除。
再構成することで何とかアプリは復元出来ました。が、DB(Postgresql)に登録しているブログの内容を喪失することになりました
因みに、このアプリでは口語訳・英語・ギリシャ語・ヘブル語の聖書と翻訳文をDBに登録しています。これを rake db:seed というコマンドで一気に登録するとプロセスがKillされます。なので、seed.rbを2分割から3分割してデプロイして、その度に rake db:seed を行いました。DBを多重化するなどの対応が必要かもしれません。

db:seedの実行方法
デプロイした先にログインするためには、fly.ioが提供してくれているコマンドを使う必要があります。
 flyctl auth login <--- fly.io自体へのログイン。
 flyctl launch <--- fly.ioへデプロイするための準備を行う。
 fly deploy <--- fly.ioへデプロイする。
 fly ssh console <--- fly.ioのコンソール(Windowsのコマンドプロンプトみないな感じ)の呼出し。これでVM(仮想環境)に入って rake db:seed 等を行う。
VMはLinuxなので、コンソールに入ったらlsやfind等を使ってアプリの登録先を見つけて、そこに移動。私の場合、2つのアプリをfly.ioで運用しているのですが、片方が appフォルダ もう片方が railsフォルダ に登録されていました。
 find . -name rake -print
これで、rakeが登録されているフォルダが分かります(自分の場合だと、app/bin/rake とか rails/bin/rake。登録先は app や rails と判明する。例では app とする)。
 cd app
 bin/rake db:seed
で、DBへの初期データの登録が行えます。

About

このブログもRuby On Railsで作っています。装丁はBootstrapのTemplateをほぼそのまま使わせていただきました。