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聖書、聖句関連の他、開発周りの事も書いていこうかと思います。有益な情報(リンク中心!)もたまにはあるかも。

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ウェストミンスター信仰基準

少し前にウェストミンスター小教理問答について投稿させていただきました。その続きとなります。
日本キリスト改革派教会訳として、ウェストミンスター信仰基準についてまとめられたサイトがあります。というか見つけました。もっと宣伝する場良いのに・・・
ここです。ウェストミンスター信仰基準日本キリスト改革派教会訳
ここで、左サイドのメニューで、ウェストミンスター小教理問答(大もあります)をクリックすると、小教理問答と共に引用聖書個所も表示されています。
惜しむらくは、この聖書個所が聖書の記述にリンクしていない事くらいでしょうか。解説は前回紹介させていただいた日本キリスト改革派羽生栄光教会様のサイトを参考にされると良いと思います。
この辺りも纏めてリンクしてあれば、「おぉ~」って感じで理解も進むかと思われますが、いかがでしょうか?
それはさておき、どちらも素晴らしいサイトだと思いますので、皆さんもご参考にされてはいかがかと思います。

ウエストミンスター小教理問答

本題に入る前に。別枠でも良いのですが大した話でもないので、ちらっとここに書いておきます。お気に入りの聖句をまとめておけるAndroidアプリを作成しましました。概ね、動いたので宣伝です。といっても、GooglePlayストアの審査とかもあるので公になるかどうかは分かりません。自分でカテゴリを付けて、書名と該当箇所の位置を指定して記憶する形で、お気に入りの聖句を保存します。毎度ですが口語訳ベースです。ライセンスフリーでないとお金がかかるので。このアプリはネットが無くても動く(はず)です。聖書全文とその他データをすべてスマホ本体のデータベースに収録しているので、ネットへのアクセスは発生しない(はず)だからです。ついでに、聖書を読む機能も付けました。
もしかしたら、野良アプリとして公開するかも・・・

本題です。次のアプリのネタとして三要文(使徒信条、十戒、主の祈り)を横断検索できるものを作ろうかと思いました。それで、ちょっと調べてみたのですがライセンスフリーの使徒信条全文が見当たらない(?)ので、ちょっと足踏みです。因みに、使徒信条はウエストミンスター小教理問答だけでなく、その他のジュネーヴ教会信仰問答とかハイデルベルク信仰問答とかルターの大小教理問答書とか当然、ウエストミンスター大教理問答とかも、ライセンスフリー(これ大事!)の文書があれば収録したいと思っています。
ご存じの方がいらっしゃれば、是非問い合わせからご連絡ください。よろしくお願いします。
ウエストミンスター小教理問答について、日本キリスト改革派羽生栄光教会様の小教理解説が分かりやすく解説してくださっています。感謝です。
本日は七夕です。で、七夕とキリスト教でググってみて興味深いサイトを見つけました。キリスト教と日本の習慣様です。日本の行事や習慣について、クリスチャンはどう向き合えばよいかを解説してくださっています。これも感謝です。

聖書の歴史②

聖書の歴史について、聖書要約という形で追加してみました。まだ途中までですが、聖書に出てくる出来事をChatGPTとかGoogleBardで洗い出して、その出来事について概ねいつ位かというのを付記して記載しています。ついでに挿絵というか、各出来事に絵をBingImageCreaterで作成して表示させてみました。
内容に間違いもあるかも知れません。全部を完全に確認できているわけではないので、不備があれば教えていただけるとありがたいです。その場合は、問い合わせ(HOMEの下の方)からお願いします。
今の時点で、ヨシュア記まで一応書きましたが、まだまだ先が長いのでゆっくりと進めさせていただければと思います。それにしても、聖書は当初口伝えで伝承されていたらしいです。これだけ、膨大な内容を暗記するなんて想像を絶します。日本だと琵琶法師のような感じかなと思いますが、どういう人たちによって伝承されていったのかも気になります。
いろいろと興味は尽きないのですが、自分の場合はまず「御言葉」を覚える事が先。歴史とか、枝葉の部分は追々(といってもこれが面白くてつい手をつけてしまう)調べてみようと思います。

聖書の歴史①

聖書の歴史についての考察
聖書の歴史と言っても二通りあると思います。一つは聖書の成り立ちという意味での歴史。もう一つが聖書の中の歴史です。
今回は、後者。聖書の中の歴史についてです。
聖書を知るという事で、聖書の歴史を調べていました。そこで、年代について色々ありすぎて何が何だかな状態である事が分かりました。
もともと聖書には、年代(そもそも基準となる年はイエス様まで出現していないわけなので)が記載されていないので仕方ない面もありますが、概ねこれ位っていうのはあるもんだと思ってました。例えば天地創造。これを紀元前4000年頃とか記載しているサイトもいくつかあったのですが、これは無理があると思います。私見ですが、ビッグバンから地球そして生命誕生までが所謂「天地創造」の六日間(6段階?)なのではないかと思います。そうすると「天地創造」の年代は138億年前から6500万年前~20万年(ホモサピエンスの出現)あたりと考えるのが妥当だと思います。アダムとイブはこのずっと後。失楽園の頃にはヒトがそれなりの暮らしいをしていたようなので、ヒトが社会性を持ち始めたころではないかと思います。
また、出エジプト記というかモーセの頃についても、いろいろなサイトで2,300年くらいの差があります。BC1200年頃とあるのは、映画のせい?かなと思います。チャールトン・ヘストン主演の「十戒」がそれです。この映画の中でモーセと対峙するエジプトの王がラムセス(ラメセス)二世。これは創作のようです。実際にはこれよりもう少し前のBC1500頃が妥当かなと思います。
こんな感じで、調べだしたらキリがない。もう少し調べてみて大まかな年代がまとめられたら掲載しようと思います。

神を賛美する

ここ一月近く、いろいろと悩んでいました。
一つはプライベートな事。もう一つが信仰の事。ちょっとスランプというか祈りが出来ない状態になっていました。
何ていうか、自分の祈りが嘘くさい感じがするんです。上辺だけの祈りというか、形だけそれっぽくしてはいるけど心が無いというか。
元々、心が無い(情が薄い)人間だと思っているのですが神様にもイエス様にもそんな感じになっていたように思います。
本日の聖書クラス祈禱会では「神への確かな信頼」というテーマで、以下の聖句が語られました。

詩篇 119篇 89~96節
しゅよ、あなたのみ言葉ことばてんにおいてとこしえにかたさだまり、
あなたのまことはよろずよにおよびます。 あなたがさだめられたので、かたっています。
これらのものはあなたのおおせにより、 かたって今日こんにちいたっています。 よろずのものはみなあなたのしもべだからです。
あなたのおきてがわがよろこびとならなかったならば、 わたしはついになやみのうちにほろびたでしょう。
わたしはつねにあなたのさとしをわすれません。 あなたはこれをもって、わたしをかされたからです。
わたしはあなたのものです。 わたしをおすくいください。 わたしはあなたのさとしをもとめました。
しきものはわたしをほろぼそうと せています。 しかし、わたしはあなたのあかしをおもいます。

これだと思いました。私には神への賛美も正直な思いも足りなかったと思ったのです。
それまで自分の言葉で祈れなくなっていたので、「主の祈り」を唱えていましが、また自分の言葉で祈ろうと思います。

Codex Sassoon

最古の完全なヘブライ語聖書「Codex Sassoon」、Tel Avivで展示される。
だそうです。Tel Avivはイスラエルの首都テルアビブですね。今、イスラエルに行くと「Codex Sassoon」を見る(読めるわけでは当然ありません)事が出来るらしいです。
さらに「5月16日にNew Yorkのサザビーズでオークションにかけられる予定」という事なので、推定価格5000万ドル(約65億円)程お持ちならお手元に置いておける(読むことも出来る!)可能性もあります。価値の分かる方に落札されることを願います。

自分の弱さ

私はまだ洗礼を受けられるほどちゃんとした信仰を持っているわけではないと自覚する出来事がありました。というか、罪の誘惑に勝てない自分がいます。罪を犯している自覚もあり、神様イエス様の事も頭によぎるのに辞められない。これは重症だと思いました。そこで、聖書に罪から抗う箇所をChatGPTで探してみました。

<chatGPTの答え>
聖書には、罪に抗うための多くの箇所があります。以下にいくつかの例を挙げます。

『創世記』4:7 - 「あなたが正しく行動すれば、その上にあがるでしょう。しかし、あなたが正しく行動しなければ、罪が門口に待ち伏せしています。それはあなたを飲み込み、あなたを支配するでしょう。」

『エフェソスの信徒への手紙』4:27 - 「憤りを与えるような場合を与えてはいけません。」

『ローマの信徒への手紙』6:12 - 「したがって、罪に支配されて、自分の望むようなことをするために、あなたのからだの欲望に従ってはいけません。」

『ローマの信徒への手紙』12:21 - 「悪をもって善に勝とうとしてはいけません。むしろ、善をもって悪に勝ちなさい。」

『ヘブライ人への手紙』12:1 - 「それで、わたしたちは、このように多くの証人に見られているので、あらゆる重荷と、わたしたちをとりまく罪とから、身を引き締め、走り続けるべきです。」

これらの箇所は、罪に対して戦うための指針を提供しています。それぞれの箇所は、異なる文脈で書かれているため、異なる方法で解釈される可能性があります。しかし、共通しているのは、罪を避けるためには、自己制御、慎重さ、そして神への信頼が必要であるということです。

正に!という言葉が綴られています。ただ、自分は弱く罪への誘惑に勝てないと思います。そこで、祈りの中で神様に助けを求めようと祈りますが、上手く祈れません。
そこで、ここでもchatGPTに聞いてみました
<chatGPTの答え>
キリスト教において、罪に抗う祈りは、自分自身の力ではなく、神の力を頼ることが重要です。以下は、罪に抗うための祈りの例です。

「天の父よ、私はあなたの前に罪を犯しました。私は自分の力では罪に抗うことができません。しかし、あなたの御心に従い、あなたの御力を借りることで、私は罪に打ち勝つことができます。御霊を私に与え、私を導いてください。私の心を清め、私に真理を示し、あなたの御心に従うように導いてください。私はあなたの御名によって祈ります。アーメン。」

この祈りは、罪についての反省と悔い改め、そして神の力を頼むことを含んでいます。この祈りは、私たちが常に神に頼り、私たちの罪を克服するために必要な御力を受け取るように求めることを助けます。また、この祈りは、私たちが罪から自由になり、キリストと共に永遠の命を受け継ぐことができるように助けます。

罪に負けそうなときは、この祈りを唱えてみようと思います。

聖書の言語

(旧約の)原本はへブル語(ヘブライ語)というのは皆さんご存じの通りだと思います。 聖書の時代、例えばノアは何語を話していたの?とか、アブラハムは?とかちょっと興味ありません? 実は私自身全然興味がありませんでした。何故か?それは普通にヘブル語を使っていると思っていたから。 所が、実際は違うようなのです。(私自身が裏どり出来ているわけではないので、受け取り方は皆さんに委ねます。) アブラハムがヘブル語を使い始めるのは、カナンの地に移ってから。カナンはカナン諸語(フェニキア語から派生した言語群) が使用されていたらしく、その一つがヘブル語とのこと。もともとアッカド語とアラム語を使っていたアブラハムは 同じ文字を使うけれど、別の言語圏に移住したという事になります。 例えると、イギリス人がいきなりフランスに移住するような感じ? それとも、鹿児島の人が青森に移住する感じ? どうなんでしょう? これだけでもちょっと興味が湧いてきませんか? 実は良い文献を見つけました。 「月刊いのちのことば」の「ヘブル語のススメ ~聖書の原語の世界~」(2020年9月号~2021年8月号)です。 興味がある人には面白いかもと思います。

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このブログもRuby On Railsで作っています。装丁はBootstrapのTemplateをほぼそのまま使わせていただきました。