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1 マルコによる福音書 9 34 かれらはだまっていた。それは途中とちゅうで、だれが一ばんえらいかと、たがいろんっていたからである。
1 マルコによる福音書 9 35 そこで、イエスはすわって十二弟子でしび、そしてわれた、「だれでも一ばんさきになろうとおもうならば、一ばんあとになり、みんなにつかえるものとならねばならない」。
1 マルコによる福音書 9 36 そして、ひとりのおさをとりあげて、かれらのまんなかたせ、それをいてわれた。
1 マルコによる福音書 9 37 「だれでも、このようなおさのひとりを、わたしののゆえにけいれるものは、わたしをけいれるのである。そして、わたしをけいれるものは、わたしをけいれるのではなく、わたしをおつかわしになったかたをけいれるのである」。
1 マルコによる福音書 9 38 ヨハネがイエスにった、「先生せんせい、わたしたちについてこないものが、あなたの使つかって悪霊あくれいしているのをましたが、そのひとはわたしたちについてこなかったので、やめさせました」。
1 マルコによる福音書 9 39 イエスはわれた、「やめさせないがよい。だれでもわたしのちからあるわざをおこないながら、すぐそのあとで、わたしをそしることはできない。
1 マルコによる福音書 9 40 わたしたちに反対はんたいしないものは、わたしたちの味方みかたである。
1 マルコによる福音書 9 41 だれでも、キリストについているものだというので、あなたがたにみず一杯いっぱいでもませてくれるものは、よくっておくが、けっしてそのむくいからもれることはないであろう。
1 マルコによる福音書 9 42 また、わたしをしんじるこれらのちいさいもののひとりをつまずかせるものは、おおきなひきうすをくびにかけられてうみまれたほうが、はるかによい。
1 マルコによる福音書 9 43 もし、あなたの片手かたてつみおかさせるなら、それをてなさい。両手りょうてがそろったままで地獄じごくえないなかむよりは、かたわになっていのちはいほうがよい。〔