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1 コリント人への第一の手紙 15 37 また、あなたのまくのは、やがてるべきからだをまくのではない。むぎであっても、ほかのたねであっても、ただのたねつぶにすぎない。
1 コリント人への第一の手紙 15 38 ところが、かみはみこころのままに、これにからだをあたえ、その一つ一つのたねにそれぞれのからだをおあたえになる。
1 コリント人への第一の手紙 15 39 すべてのにくが、おなにくなのではない。ひとにくがあり、けものにくがあり、とりにくがあり、うおにくがある。
1 コリント人への第一の手紙 15 40 てんぞくするからだもあれば、ぞくするからだもある。てんぞくするものの栄光えいこうは、ぞくするものの栄光えいこうちがっている。
1 コリント人への第一の手紙 15 41 栄光えいこうがあり、つき栄光えいこうがあり、ほし栄光えいこうがある。また、このほしとあのほしとのあいだに、栄光えいこうがある。
1 コリント人への第一の手紙 15 42 死人しにん復活ふっかつも、また同様どうようである。ちるものでまかれ、ちないものによみがえり、
1 コリント人への第一の手紙 15 43 いやしいものでまかれ、栄光えいこうあるものによみがえり、よわいものでまかれ、つよいものによみがえり、
1 コリント人への第一の手紙 15 44 にくのからだでまかれ、れいのからだによみがえるのである。にくのからだがあるのだから、れいのからだもあるわけである。
1 コリント人への第一の手紙 15 45 聖書せいしょに「最初さいしょひとアダムはきたものとなった」といてあるとおりである。しかし最後さいごのアダムはいのちあたえるれいとなった。
1 コリント人への第一の手紙 15 46 最初さいしょにあったのは、れいのものではなくにくのものであって、そののちれいのものがるのである。