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1 ヘブル人への手紙 9 21 かれはまた、幕屋まくや儀式ぎしきよう器具きぐいっさいにも、同様どうようをふりかけた。
1 ヘブル人への手紙 9 22 こうして、ほとんどすべてのものが、律法りっぽうしたがい、によってきよめられたのである。ながすことなしには、つみのゆるしはありない。
1 ヘブル人への手紙 9 23 このように、てんにあるもののひながたは、これらのものできよめられる必要ひつようがあるが、てんにあるものは、これらよりさらにすぐれたいけにえで、きよめられねばならない。
1 ヘブル人への手紙 9 24 ところが、キリストは、ほんとうのものの模型もけいにすぎない、つくった聖所せいじょにはいらないで、うえなるてんにはいり、いまやわたしたちのためにかみのみまえにくださったのである。
1 ヘブル人への手紙 9 25 大祭司だいさいしは、としごとに、自分じぶん以外いがいのもののをたずさえて聖所せいじょにはいるが、キリストは、そのように、たびたびご自身じしんをささげられるのではなかった。
1 ヘブル人への手紙 9 26 もしそうだとすれば、はじめから、たびたび苦難くなんけねばならなかったであろう。しかし事実じじつ、ご自身じしんをいけにえとしてささげてつみのぞくために、おわりに、一だけあらわれたのである。
1 ヘブル人への手紙 9 27 そして、一だけぬことと、んだのちさばきをけることとが、人間にんげんさだまっているように、
1 ヘブル人への手紙 9 28 キリストもまた、おおくのひとつみうために、一だけご自身じしんをささげられたのちかれのぞんでいる人々ひとびとに、つみうためではなしに二度目どめあらわれて、すくいあたえられるのである。
1 ヘブル人への手紙 10 1 いったい、律法りっぽうはきたるべきいことのかげをやどすにすぎず、そのもののしんのかたちをそなえているものではないから、としごとにきつづきささげられるおなじようないけにえによっても、みまえにちかづいてものたちを、まっとうすることはできないのである。
1 ヘブル人への手紙 10 2 もしできたとすれば、儀式ぎしきにたずさわるものたちは、一きよめられた以上いじょう、もはやつみ自覚じかくがなくなるのであるから、ささげものをすることがやんだはずではあるまいか。