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1 ヤコブの手紙 2 23 こうして、「アブラハムはかみしんじた。それによって、かれみとめられた」という聖書せいしょ言葉ことば成就じょうじゅし、そして、かれは「かみとも」ととなえられたのである。
1 ヤコブの手紙 2 24 これでわかるように、ひととされるのは、おこないによるのであって、信仰しんこうだけによるのではない。
1 ヤコブの手紙 2 25 おなじように、かの遊女ゆうじょラハブでさえも、使者ししゃたちをもてなし、かれらをべつみちからおくしたときおこないによってとされたではないか。
1 ヤコブの手紙 2 26 霊魂れいこんのないからだがんだものであると同様どうように、おこないのない信仰しんこうんだものなのである。
1 ヤコブの手紙 3 1 わたしの兄弟きょうだいたちよ。あなたがたのうちおおくのものは、教師きょうしにならないがよい。わたしたち教師きょうしが、ひとたちよりも、もっときびしいさばきをけることが、よくわかっているからである。
1 ヤコブの手紙 3 2 わたしたちはみなおおくのあやまちをおかすものである。もし、言葉ことばうえであやまちのないひとがあれば、そういうひとは、全身ぜんしんをもせいぎょすることのできる完全かんぜんひとである。
1 ヤコブの手紙 3 3 うまぎょするために、そのくちにくつわをはめるなら、その全身ぜんしんきまわすことができる。
1 ヤコブの手紙 3 4 またふねるがよい。船体せんたい非常ひじょうおおきく、またはげしいかぜきまくられても、ごくちいさなかじ一つで、操縦者そうじゅうしゃおもいのままに運転うんてんされる。
1 ヤコブの手紙 3 5 それとおなじく、したちいさな器官きかんではあるが、よく大言壮語たいげんそうごする。よ、ごくちいさなでも、非常ひじょうおおきなもりやすではないか。
1 ヤコブの手紙 3 6 したである。不義ふぎ世界せかいである。したは、わたしたちの器官きかんの一つとしてそなえられたものであるが、全身ぜんしんけがし、生存せいぞん車輪しゃりんやし、みずからは地獄じごくかれる。