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コリント人への第一の手紙 |
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すべてこれらのものは、一つの同じ御霊の働きであって、御霊は思いのままに、それらを各自に分け与えられるのである。 |
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からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。 |
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なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、そして皆一つの御霊を飲んだからである。 |
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実際、からだは一つの肢体だけではなく、多くのものからできている。 |
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もし足が、わたしは手ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 |
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また、もし耳が、わたしは目ではないから、からだに属していないと言っても、それで、からだに属さないわけではない。 |
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もしからだ全体が目だとすれば、どこで聞くのか。もし、からだ全体が耳だとすれば、どこでかぐのか。 |
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そこで神は御旨のままに、肢体をそれぞれ、からだに備えられたのである。 |
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もし、すべてのものが一つの肢体なら、どこにからだがあるのか。 |
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ところが実際、肢体は多くあるが、からだは一つなのである。 |