へブル・ギリシャ語版、英語、口語訳比較

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1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 3 6 ος και ικανωσεν ημας διακονους καινης διαθηκης ου γραμματος αλλα πνευματος το γαρ γραμμα αποκτεινει το δε πνευμα ζωοποιει
そして私たち、新約聖書の牧師たちを満足させてください。文字ではなく、精神で満たしてください。

who also made us sufficient as ministers of a new covenant; not of the letter, but of the spirit: for the letter killeth, but the spirit giveth life.
彼はまた、私たちを新しい契約の奉仕者として十分なものにしました。手紙のものではありません。しかし、精神の:手紙は殺します。しかし、霊は命を与えます。

かみはわたしたちにちからあたえて、あたらしい契約けいやくつかえるものとされたのである。それは、文字もんじつかえるものではなく、れいつかえるものである。文字もんじひところし、れいひとかす。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 3 7 ει δε η διακονια του θανατου εν γραμμασιν εντετυπωμενη εν λιθοις εγενηθη εν δοξη ωστε μη δυνασθαι ατενισαι τους υιους ισραηλ εις το προσωπον μωσεως δια την δοξαν του προσωπου αυτου την καταργουμενην
そして、石に刻まれた文字による死の務めは栄光の中で行われたので、イスラエルの子供たちはモーセの顔の栄光が廃止されるのを見て、モーセの顔を見ることができませんでした。

But if the ministration of death, written, [and] engraven on stones, came with glory, so that the children of Israel could not look stedfastly upon the face of Moses for the glory of his face; which [glory] was passing away:
しかし、死の省なら。書いた。 [そして]石に刻まれています。栄光と共にやってきた。イスラエルの人々が、モーセの顔の栄光を求めて、彼の顔をじっと見つめることができなかったように。その[栄光]は過ぎ去りました:

もしいしりつけた文字もんじによるつとめ栄光えいこうのうちにおこなわれ、そのためイスラエルのらは、モーセのかおるべき栄光えいこうのゆえに、そのかおつめることができなかったとすれば、
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 3 8 πως ουχι μαλλον η διακονια του πνευματος εσται εν δοξη
いいえ、むしろ、霊の働きは栄光に満ちています

how shall not rather the ministration of the spirit be with glory?
むしろ、霊の奉仕が栄光を帯びていないでしょうか?

ましてれいつとめは、はるかに栄光えいこうあるものではなかろうか。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 3 9 ει γαρ η διακονια της κατακρισεως δοξα πολλω μαλλον περισσευει η διακονια της δικαιοσυνης εν δοξη
断罪の務めは、義の務めよりも栄光に満ちているからです。

For if the ministration of condemnation hath glory, much rather doth the ministration of righteousness exceed in glory.
断罪の働きに栄光があるなら。むしろ、義の奉仕は栄光において勝っています。

もしつみ宣告せんこくするつとめ栄光えいこうあるものだとすれば、宣告せんこくするつとめは、はるかに栄光えいこうちたものである。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 3 10 και γαρ ουδε δεδοξασται το δεδοξασμενον εν τουτω τω μερει ενεκεν της υπερβαλλουσης δοξης
そして、栄光がありすぎるためにこの部分で発生が発生しないため

For verily that which hath been made glorious hath not been made glorious in this respect, by reason of the glory that surpasseth.
まことに栄光あるものは、この点において栄光あるものとされていないからです。まさる栄光のゆえに。

そして、すでに栄光えいこうけたものも、この場合ばあい、はるかにまさった栄光えいこうのまえに、その栄光えいこううしなったのである。