へブル・ギリシャ語版、英語、口語訳比較

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1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 5 15 και υπερ παντων απεθανεν ινα οι ζωντες μηκετι εαυτοις ζωσιν αλλα τω υπερ αυτων αποθανοντι και εγερθεντι
そして何よりも死んだのは、生者自身が生きるのではなく、何よりも死んで復活するためです

and he died for all, that they that live should no longer live unto themselves, but unto him who for their sakes died and rose again.
そして彼はすべてのために死にました。生きている者はもはや独りで生きてはならない。しかし、彼らのために死んで復活した彼に。

そして、かれがすべてのひとのためにんだのは、きているものがもはや自分じぶんのためにではなく、自分じぶんのためにんでよみがえったかたのために、きるためである。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 5 16 ωστε ημεις απο του νυν ουδενα οιδαμεν κατα σαρκα ει δε και εγνωκαμεν κατα σαρκα χριστον αλλα νυν ουκετι γινωσκομεν
私たちは受肉したものは何も見たことがなく、受肉したキリストを知らなかったからです。

Wherefore we henceforth know no man after the flesh: even though we have known Christ after the flesh, yet now we know [him so] no more.
したがって、私たちは肉の後にキリストを知っていたとしても、肉の後に人を知りません。しかし今、私たちはもう[彼をそう]知りません。

それだから、わたしたちは今後こんご、だれをもにくによってることはすまい。かつてはキリストをにくによってっていたとしても、いまはもうそのようなかたをすまい。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 5 17 ωστε ει τις εν χριστω καινη κτισις τα αρχαια παρηλθεν ιδου γεγονεν καινα τα παντα
キリストにあって古代人は新しい被造物であり、見よ、すべてのものは新しくなった。

Wherefore if any man is in Christ, [he is] a new creature: the old things are passed away; behold, they are become new.
したがって、キリストにある人がいるとすれば。 [彼は]新しい生き物です。古いものは過ぎ去りました。見よ。それらは新しくなりました。

だれでもキリストにあるならば、そのひとあたらしくつくられたものである。ふるいものはった、よ、すべてがあたらしくなったのである。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 5 18 τα δε παντα εκ του θεου του καταλλαξαντος ημας εαυτω δια ιησου χριστου και δοντος ημιν την διακονιαν της καταλλαγης
そして、イエス・キリストを通して私たちの救いの神からのすべてのものと、私たちに救いのミニストリーを与えてください

But all things are of God, who reconciled us to himself through Christ, and gave unto us the ministry of reconciliation;
しかし、すべてのものは神のものです。キリストを通して私たちをご自身と和解させてくださいました。そして私たちに和解の務めを与えました。

しかし、すべてこれらのことは、かみからている。かみはキリストによって、わたしたちをご自分じぶん和解わかいさせ、かつ和解わかいつとめをわたしたちにさずけてくださった。
1 2 Corinthians コリント人への第二の手紙 5 19 ως οτι θεος ην εν χριστω κοσμον καταλλασσων εαυτω μη λογιζομενος αυτοις τα παραπτωματα αυτων και θεμενος εν ημιν τον λογον της καταλλαγης
あたかもキリストの世界の神が自分自身を罰しているかのように、彼らの違反を彼らに帰するのではなく、罰の理由を私たちに置いています

to wit, that God was in Christ reconciling the world unto himself, not reckoning unto them their trespasses, and having committed unto us the word of reconciliation.
つまり。神はキリストにあって世界を自分自身と和解させていた。彼らの不法行為を彼らに認めないでください。和解の言葉をわたしたちに約束してくださいました。

すなわち、かみはキリストにおいてをご自分じぶん和解わかいさせ、その罪過ざいか責任せきにんをこれにわせることをしないで、わたしたちに和解わかい福音ふくいんをゆだねられたのである。