へブル・ギリシャ語版、英語、口語訳比較

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1 Hebrews ヘブル人への手紙 4 4 ειρηκεν γαρ που περι της εβδομης ουτως και κατεπαυσεν ο θεος εν τη ημερα τη εβδομη απο παντων των εργων αυτου
神がすべての働きを休んで七日目に休まれたのは七日目頃だったからである

For he hath said somewhere of the seventh [day] on this wise, And God rested on the seventh day from all his works;
というのは、彼はこの賢明な第 7 [日] のどこかで言ったからです。そして、神はすべての働きを終えて七日目に休みました。

すなわち、聖書せいしょのある箇所かしょで、七日なぬかのことについて、「かみは、七日なぬかにすべてのわざをやめてやすまれた」とわれており、
1 Hebrews ヘブル人への手紙 4 5 και εν τουτω παλιν ει εισελευσονται εις την καταπαυσιν μου
そして再び彼らは私の休息に侵入します

and in this [place] again, They shall not enter into my rest.
そしてまたこの[場所]で。彼らは私の休息に入ることはありません。

またここで、「かれらをわたしの安息あんそくに、はいらせることはしない」とわれている。
1 Hebrews ヘブル人への手紙 4 6 επει ουν απολειπεται τινας εισελθειν εις αυτην και οι προτερον ευαγγελισθεντες ουκ εισηλθον δι απειθειαν
そこに入る方法がなく、初期の伝道者たちが不信仰を通して入ったのではなかったとき

Seeing therefore it remaineth that some should enter thereinto, and they to whom the good tidings were before preached failed to enter in because of disobedience,
したがって、そこに入らなければならない人が残っています。そして、以前に吉報が伝えられていた人々は、不従順のために中に入ることができませんでした。

そこで、その安息あんそくにはいる機会きかいが、人々ひとびとになおのこされているのであり、しかも、はじめに福音ふくいんつたえられた人々ひとびとは、従順じゅうじゅんのゆえに、はいることをしなかったのであるから、
1 Hebrews ヘブル人への手紙 4 7 παλιν τινα οριζει ημεραν σημερον εν δαβιδ λεγων μετα τοσουτον χρονον καθως ειρηται σημερον εαν της φωνης αυτου ακουσητε μη σκληρυνητε τας καρδιας υμων
再び、今日ダビデが定めた日は何ですか。今日言われているように、この後、彼の声に耳を傾けるなら心をかたくなにしないでください。

he again defineth a certain day, To-day, saying in David so long a time afterward (even as hath been said before), To-day if ye shall hear his voice, Harden not your hearts.
彼は再び特定の日を定義します。今日。ずっと後にダビデで言った(以前に言われたように)。今日、彼の声を聞くことができれば。心をかたくなにしないでください。

かみは、あらためて、あるを「きょう」としてさだめ、ながときがたってから、さき引用いんようしたとおり、
「きょう、みこえいたなら、 あなたがたのこころを、かたくなにしてはいけない」とダビデをとおしてわれたのである。
1 Hebrews ヘブル人への手紙 4 8 ει γαρ αυτους ιησους κατεπαυσεν ουκ αν περι αλλης ελαλει μετα ταυτα ημερας
彼がこれらのイエスを止めたので、彼がこれらの日以降に他の誰かについて話すなら

For if Joshua had given them rest, he would not have spoken afterward of another day.
ヨシュアが彼らに休息を与えていたなら。彼は別の日の後で話さなかったでしょう。

もしヨシュアがかれらをやすませていたとすれば、かみはあとになって、ほかののことについてかたられたはずはない。