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1 コリント人への第二の手紙 5 8 それで、わたしたちはこころづよい。そして、むしろ肉体にくたいからはなれてしゅともむことが、ねがわしいとおもっている。
1 コリント人への第二の手紙 5 9 そういうわけだから、肉体にくたい宿やどとしているにしても、それからはなれているにしても、ただしゅよろこばれるものとなるのが、こころからのねがいである。
1 コリント人への第二の手紙 5 10 なぜなら、わたしたちはみな、キリストのさばきのまえにあらわれ、ぜんであれあくであれ、自分じぶんおこなったことにおうじて、それぞれむくいをけねばならないからである。
1 コリント人への第二の手紙 5 11 このようにわたしたちは、しゅおそるべきことをっているので、人々ひとびとすすめる。わたしたちのことは、かみのみまえにはあきらかになっている。さらに、あなたがたの良心りょうしんにもあきらかになるようにとのぞむ。
1 コリント人への第二の手紙 5 12 わたしたちは、あなたがたにたいして、またもや自己じこ推薦すいせんをしようとするのではない。ただわたしたちをほこ機会きかいを、あなたがたにたせ、こころほこるのではなくうわべだけをほこ人々ひとびとこたえうるようにさせたいのである。
1 コリント人への第二の手紙 5 13 もしわたしたちが、くるっているのなら、それはかみのためであり、たしかであるのなら、それはあなたがたのためである。
1 コリント人への第二の手紙 5 14 なぜなら、キリストのあいがわたしたちにつよせまっているからである。わたしたちはこうかんがえている。ひとりのひとがすべてのひとのためにんだ以上いじょう、すべてのひとんだのである。
1 コリント人への第二の手紙 5 15 そして、かれがすべてのひとのためにんだのは、きているものがもはや自分じぶんのためにではなく、自分じぶんのためにんでよみがえったかたのために、きるためである。
1 コリント人への第二の手紙 5 16 それだから、わたしたちは今後こんご、だれをもにくによってることはすまい。かつてはキリストをにくによってっていたとしても、いまはもうそのようなかたをすまい。
1 コリント人への第二の手紙 5 17 だれでもキリストにあるならば、そのひとあたらしくつくられたものである。ふるいものはった、よ、すべてがあたらしくなったのである。